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信者2世の本音:天理教を押し付けない私が考える“柔らかい信仰”の形

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この記事の意図

この記事では、信者2世としての私の体験や感じたことを通じて、天理教との向き合い方についてお話しします。同じように宗教に関わる2世として葛藤や悩みを抱えている方、また天理教に興味のある方の参考になれば幸いです。


天理教を始めた母の思い

私の母が天理教を始めたきっかけは、「いんねん」を変えたいという強い思いからでした。家系的に短命な人が多く、母は父の健康を案じていたのだと思います。また、母自身も悩み事が多く、自分を変えたいという思いで天理教に出会いました。一方、父は当初、宗教に否定的で、母が隠れるように教会や天理教のおばさんの家に通っていた時期もありました。

しかし母は信念を持って天理教に取り組み、次第に父もその姿勢を理解するようになりました。「別に悪いことが起きるわけではないし、むしろ助けられることもある」と、天理教を少しずつ受け入れるようになったのです。


信者2世としての出発点

私が天理教と関わり始めたのは小学校高学年の頃です。母に連れられ、教会やおばさんの家に行きましたが、当時はその意味や価値を深く理解していませんでした。ただ「これをやれば良くなるのかな」という漠然とした気持ちで座りづとめを教えられたり、月次祭に参加していました。

月次祭では「鳴り物」の音が響き渡る中、みかぐらうたに合わせて手踊りをします。約2時間続くその祭典を、当時の私は「長くて退屈だな」と感じることも多かったです。歌や手踊りの意味を理解する勉強をすれば、また違った印象を抱いたかもしれませんが、当時はただ「大変そうだな」と眺めていました。


天理教の教え:心の中を見つめるきっかけ

天理教の教えには、私自身が非常に共感するものがあります。その一つが「かしものかりもの」という考え方です。この体は親神様から貸していただいているものであり、私たちは借りて生きている存在だとされています。だからこそ、自分の体に感謝し、健康を大切にすることが重要です。「当たり前のようにある体も、実は当たり前ではない」という気づきを与えてくれる教えです。

もう一つが「八つのほこり」という教えです。これは、私たちの心に溜まりやすい「おしい、ほしい、にくい、かわいい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」といった8つの心のほこりを指します。また、うそとついしょう、これ嫌いとあります。このほこりを自覚し、生活の中で少しずつ清めていくことが、運命を変える手がかりになると教えられています。たとえば、「欲」による過剰な執着を手放す努力や、「怒り」を抑える自制心を持つことが、心を軽くする第一歩です。

ほこりが溜まってしまった場合でも、「おつとめ」という行為で心を清めることができます。このような教えは、日常生活における心のバランスを整える助けとなり、私自身もその価値を感じています。


支えとなった叔母さんの存在

私にとって天理教の良さを実感させてくれたのが、母に天理教を勧めたおばさんの存在です。
私が私立大学に進学した際、授業料を払えない状況に直面しました。その時、おばさんが親にお金を貸してくれたことを聞き、心から感謝しました。

また、おばさんは「夫婦力を合わせることの大切さ」を父に伝え、天理教に否定的だった父の考えが少しずつ変わっていきました。天理教に触れた父も、「別に悪いものではないし、悪いことが起こるわけでもない」と感じ始めたそうです。

私自身が困難に直面した際も、おばさんが助けてくれることが多くありました。その助けがあったからこそ、私は天理教の教えがただの形式ではなく、現実の中で実際に役立つ「道理に合った教え」であると感じるようになりました。


信者2世だからこその課題

もちろん、信者2世としての課題もあります。
特に交際や人間関係の中で宗教に偏見を持つ人がいることには悩まされました。実際、天理教のことを少し話しただけで音信不通になった経験もあります。一方で、天理教の教えに理解を示してくれる人もいるので、人それぞれ価値観は違うのだと感じます。

また、天理教の教えを実践する中では、自分の心を入れ替える必要がある場面があります。自分の好きなように生きるだけではなく、教えに沿って心を改めることが時に難しく感じることもありますが、それが成長の一歩だとも思います。


次世代へのメッセージ

天理教の目的は「陽気ぐらし」、つまり互いに助け合いながら、感謝の気持ちを持って楽しく暮らすことです。この教えは、哲学的な考え方としても非常に魅力的だと私は感じています。

教えを実践する中で葛藤を感じることもあるでしょうが、少しずつ心を前向きに持ち、改善していくことで、次第に楽になり、状況が変わっていくのを実感できるはずです。
もし悩みや問題がある時には、一度天理教の教えに触れてみてください。その中に、日々の生活を豊かにするためのヒントがきっと見つかると思います。

形式にとらわれず、自分のペースで天理教と向き合うこと。これが私が信者2世として見つけた、天理教との適切な距離感です。


まとめ

天理教に限らず、信者2世として宗教に関わることには特有の葛藤があります。しかし、天理教の教えの中には人生をより良くするための知恵が詰まっています。この記事が、同じような悩みを抱える方の心に少しでも届けば幸いです。