修養科は、天理教の教えを学び、実践することで心の成人を促す3カ月間のプログラムです。
私はこれまでに2回修養科を経験しましたが、今回は初めて修養科に参加した際の体験を詳しく振り返り、その中で得た気づきや成長についてお伝えします。
修養科に行くことになったきっかけ
修養科に行くことになったのは、ブラック企業での勤務が原因で心身を壊し、退職した直後のことでした。
そのタイミングで天理教をやっているおばさんから「一度修養科に行ってみては?」と勧められました。
当時の私は疲れ切っており、「何か変われば良いな」という期待を抱きながら参加を決意しました。
私が所属する教会は「節目ごとに修養科を勧める」というスタンスで、特に厳しいルールがなく、自由な雰囲気でした。
同じ教会からはAさん(女性)とBさん(男性)も参加することになり、3人で一緒に修養科へ入りました。
それぞれの参加の動機は異なり、Aさんは彼氏の借金返済のお礼として、Bさんは借金や事業倒産による悩みを抱えていました。参加者それぞれが異なる事情や目的を持ちながらも、同じ場所に集まるということに、何か不思議な縁を感じました。
修養科生活の始まり
修養科初日までの準備
修養科に行くと決まったとき、私は少し不安を感じつつも、「3カ月間新しい環境で何か得られるかもしれない」という期待感がありました。
教会長さんから渡された持ち物リストをもとに準備を進め、必要な荷物は事前に天理市(おぢば)へ郵送しました。
そのため、当日は最低限の荷物だけで移動でき、スムーズにスタートを切ることができました。
また、初日は事前面接から始まり、数日後に本格的な修養科生活がスタートしました。
当時の私は好奇心旺盛で、未知の体験にワクワクしていました。
詰め所に着いたときの印象は、静かで質素な雰囲気の場所。
まるで古旅館のような佇まいで、迎え入れてくれた方々も親切で温かい人たちばかりでした。
修養科での生活と活動
朝夕のおつとめと掃除
修養科では、朝夕のおつとめが日課となります。
起床時間は時期によって異なりますが、私の場合4時半から5時頃に起床し、詰め所で朝ごはんの準備を行った後、神殿へ移動し、朝づとめに参加します。
男性はお風呂掃除などをしていました。
この規則正しい生活リズムに最初は戸惑いましたが、次第に慣れていくことで、心が整う感覚を覚えました。
神殿の朝づとめでは、真柱様を中心に本部の方などが務めます。私達は、それに合わせておてふりをし、今日1日のことであったり、あらゆることに向けて親神様と対峙し、拝をします。
夕ご飯の後は、夕づとめをし、その後は修練の時間があります。
私の詰め所では、おてふりや鳴り物の練習、天理教に関わる偉人のDVDなどを観ました。
修養科中は授業内でも、詰め所へ帰っても、ひのきしんという奉仕活動を行います。掃除であったり、食事の準備であったり、ゴミ拾い、草引きなどあらゆることを感謝の気持ちを込めて行います。
特に印象に残った活動
午後に行われる「ひのきしん(奉仕活動)」も修養科の重要な要素です。私は御守所(おもりしょ)の掃除を担当しました。御守所とは神殿内でお勤めされている方の休息所のような場所です。掃除をするのに時間制限があり、走り回りながらすべてをこなさないと間に合わず、忙しい内容でしたが、「これも何か意味があるかもしれない」と思いながら全力で取り組みました。
また、修養科中にインフルエンザにかかり、詰め所で隔離された期間も印象深いものでした。その間、12下りの手踊りを集中して練習する時間ができ、おかげで何も見ずに踊れるようになったのは良い思い出です。
心の変化と学び
心の癒しと回復
修養科での3カ月間は、心身ともに休む時間となりました。
ブラック企業での疲労で心が壊れかけていた私にとって、修養科は「私が私らしくいられる」療養の場でした。
規則正しい生活と素直な気持ちで取り組む活動を通じて、心が癒され、「また社会に戻っても頑張れる」という自信を取り戻すことができました。
教えを日常に活かす
修養科では、天理教の教えや明言を学びました。
これらは、日常生活での心の支えとなっています。
たとえば、悩んだときには教えを思い返し、それが自己反省や新たな行動のきっかけとなることがあります。
修養科で学んだ知識や体験は、日々の生活の中で自然と活かされています。
他の参加者とのつながり
修養科では、多くの修養科生と交流する機会があり、それぞれの背景や考え方に触れる中で、深く考えさせられる場面がありました。
Aさんとの交流
Aさんは、彼氏の多額の借金を共に背負い、追い詰められて死を考えるほどの状況に陥っていたところ、天理教を信仰するおばさんに助けられました。
その後、数年かけてようやく借金を返済し、その感謝の気持ちを込めて修養科に参加することを決めたそうです。
修養科では、Aさんの感謝の心が言動や態度に自然と現れており、その姿勢は周囲の人々にも良い影響を与えていました。
私自身も彼女の姿から、「感謝する心を持つことの大切さ」を改めて学びました。
Aさんは修養科生活を純粋に楽しみながら過ごし、心から神様に感謝している姿がとても印象的でした。
Bさんとの交流
Bさんは修養科生活を送る中で、少しずつ自分と向き合い、変化を経験していました。
修養科中に離婚という大きな決断をすることになりましたが、彼女自身は本心では離婚を望んでいなかったように見えました。
それでも、彼女の態度や日々の振る舞いからは、「離婚してもおかしくない」と感じさせる部分があり、周囲から見ても自然な流れのように思える状況でした。
修養科は、伏せ込みを通じて新たなスタートや区切りを見つける場でもあります。
Bさんにとっても、この経験が少しでも前向きなきっかけになればと願うばかりでした。
Cさんとの交流
Cさんは、息子さんが精神的に不安定であることに悩み、息子さんを修養科へ入れる決断をしました。
しかし、修養科中に息子さんが自傷行為をしてしまうという事態が起きてしまいました。
Cさんは教会長さんとの話し合いを通じて、「これは息子さんだけの問題ではなく、Cさん自身もさんげし、一緒に修養科生活を送った方が良い」と諭され、自ら修養科に参加することになったそうです。
修養科での生活を通じて、Cさんはこれまでの子育てについて深く考えるようになりました。
彼女は、「自分の子育てはすべて『したつもり』だった」と気づき、息子さんのことを何も理解していなかったことを涙ながらに振り返っていました。
このエピソードは、親としての在り方や自己反省の大切さを考えさせられるものでした。
- 修養科では、「伏せ込んだ分だけ、良くも悪くも何かしらの結果が現れる」という実感を得る場面が多々ありました。
良い結果が出ることもあれば、時には望まない結果が出ることもあります。
しかし、どちらであっても意味のあることだと感じました。
修養科を終えて
修養科生活の最初の1カ月は慣れないことが多く大変でしたが、3カ月目には心身ともに楽になり、修養科での生活を楽しむ余裕が生まれました。
修養科を終えた今、何か悩んだときには天理教の教えを思い出し、それが心の支えとなっています。
修養科は私にとって、人生の転機となる貴重な経験でした。
初めての修養科は、自分を見つめ直し、新しい一歩を踏み出すための大切な時間となりました。
修養科が教えてくれたこと
修養科は単なる学びの場ではなく、自分自身を癒し、再出発のための準備を整える場です。悩みや迷いを抱えた方には、ぜひ一度修養科を体験していただきたいと思います。
この体験が、皆さんの人生に新たな気づきと成長をもたらすことを願っています。